京都に隣接する比叡平で育ち、ニューヨークで建築を学び、
ベルリン在住中に建築家から写真家、そして現代美術家へ。
「自然が近くにあり、余白のある生活ができるので」と、現在は京都を拠点に活動中。
光と影、具象と抽象、地球と宇宙…二極の間をたゆたいながら真理に手を伸ばす八木夕菜さんに伺いました。
「美しさってなんでしょう」。
八木夕菜Yuna Yagi
Contemporary Artist。2004 年ニューヨーク・パーソンズ美術大学建築学部卒業。カナダ、ニューヨーク、ベルリンを経て、現在は京都を拠点に。様々な素材を用いて視覚を揺さぶる平面や立体の作品、インスタレーションを国内外で発表している。主な展覧会に、P o l aM u s e u m A n n e x 銀座「N O W H E R E 」( 2 0 1 8 )、KYOTOGRAPHIE 京都国際写真祭「種覚ゆ」(2021)など。
何かが浮かび上がる瞬間
作品との出合いによって、これまでなかった視点を持ってもらえるようにと、写真の概念を崩して再構築するような作品を発表してきた八木さん。2022年4~5月に東京で行われた個展『視/覚の偏/遍在』では、人の「見る」という行為にフォーカス。目で見た像と心のバイアスを経た像のズレを写真で表現。人の認識のゆらぎを感じさせてくれました。昨年の「KYOTOGRAPHIE 京都国際写真祭」で展示され、現在は金沢21世紀美術館に所蔵されている『種覚ゆ⁄ The Records ofSeeds』からは、種の生命力の向こうに“農業と食の問題にどう向き合っていくのか”というメッセージが垣間見えます。「長崎県雲仙で在来種・固定種の野菜の種を守る“種採り農家”の岩崎政利さんを尋ね、土地や風土を記憶する種という自然界の記録装置を、人が生み出した記録装置=写真で描写しました。種以外に用いたのは、その土地にある光、水、土、風。植物の生育に必要なものと同じ要素です。岩崎さんが続けられているその土地の風土を読み、自然に寄り添った農業に共鳴し、日光写真という写真技術を選びました。「制作過程の中で和紙の上に土をかけたのですが、養分が溶け出してムラができたんです。そのムラが私にはなんとも愛おしく思えました。また、水の痕跡を器に写しとった作品では、完全に自然に作品をゆだねたことで、美が宿ったような感覚がありました。あるがままであること、邪気のない作意と行為が合致したとき、美しさが浮かび出た気がしました」。
邪念のない存在への憧れ
2019年に発表した『Blanc/Balck』もまた、写真と印刷の性質である光と影、色の性質に“ゆだねた”作品と言えます。多重露光は写真の撮影技術の1つで1枚の写真に何度も光像を重ねた結果、白(Blanc)に近づく現象です。多重印刷は1枚の紙に像を重ね、色が塗り重なることで、黒(Balck)に近づいていく。「重ねるほど一枚の写真の情報量は多くなるはずなのに、見た目は抽象化されていき、結果として浮かび上がったのは、全てが存在しているのに色がない、白(光)と黒(影)の世界でした。それは、すべては空であるという禅の真理のように、美しく目に映りました」。この時も八木さんは、写真を重ねていく行為をあるがままにゆだねたと言います。写真や印刷などの文明を、本来の「機能」「役割」のところまで削ぎ落とし、受け入れた時に思いもよらず現れる真理。「音楽に絶対音感があったり、美しいハーモニーがあるように、アートの中にも美の絶対値のようなものがあり、それは試行錯誤の結果、思考や作為から離れた時に顔を出すことがあります。つまり邪念が無いもの(≒自然無為)が生み出した真理が美しかったのかもしれません」と八木さんは語ります。「真なるもの」を追い求め、八木さんの挑戦は続きます。
写真協力 八木夕菜、Takeshi Asano、Jukan Takeisi TEXT 立原 里穂